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  • 執筆者の写真林好子

服に身体を譲る日本人!?



このズボン

アメリカのニューメキシコ州の小さな村にいるときに愛用している作業着。

デッキ作り、ペンキ塗り、薪運び、いつもこのズボンと一緒♪

このズボンを履くと、泥んこになることもへっちゃらで、

作業の楽しさ&集中力が倍増!!

しかも、村人の端くれみたいになった気がして誇らしかったりもする(笑)

だから

穴だらけで、ウエストのところは大きく破けてて、もう限界かな…と思うんだけど捨てられない。

実はこのズボン、元々は動きやすい普段着の一枚だったんですが、

ある時、はっきりと“作業着”に任命したんです。

というのも、

日本とニューメキシコ州を行き来する中で、あることに気づいて・・・。

それはなにかと言うと、

“服に身体を譲る”

ということ。

日本人、少なくとも私は、無意識のうちに服に身体を譲ってるんです。

例えば

お皿を洗うとき、袖が濡れないように背中後ろに引いていたり

長めに残したズボン裾が地面に擦れて汚れないように微妙に背伸びしてたり

膝やお尻を地面につけるのを避けて、無理な体勢で作業したり

服を優先して身体を犠牲にしてしまうんです。

でもここ(ニューメキシコ州のこの村)の人は違うんです。

泥んこになることに馴染んでる。

作業をする時、大地に膝をつき、寝転び、

服が汚れることなんて全く気にかけることもなく、身体も意識も全てが作業に向けられる。

そして、作業を全うする。

そんな姿がカッコいいなって。

そして、身体を、自分を大事に使ってるなって。

で、村の人みたいに!!とやってみるけど、これが以外と難しい。

長年染み込んだ衣類に対する観念が邪魔して、

膝を大地につきながらも、微妙にそれを抵抗してしまう私・・・。

しかも

“この洋服、買ったばかりだし・・・” とか

“赤土は洗ってもとれなんだよね・・・”とか

いろんな考えが浮かんで来て、作業に集中できない。

改めて、私の衣類に対する意識・位置付けが、この村の人と違っていて、しかも動きを邪魔してるんだな…と実感。

そこで、

何年か前にこの村で着る服と街に出かける服を分けてみたんです。

村で着る服は、泥んこになっていい服。

そして、その中の一枚に、

「あなたを作業着に任命します!」と。

それが、このズボン。

すると、びっくり。

泥んこ平気。

身体の使い方も変わるし

作業も楽しい。

集中力もアップ。

そして、なぜか誇らしげ。

特に、作業着をまとう私は、何かに変身するかのような気分(笑)

それにしても、身体、つまり自分より服を大切にするって、ほんと不思議ですね。

着飾るための服はルンルン気分にさせてくれるので、それももちろん良いんですが、

たまには身体に優しい服選びもオススメです。


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