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意図と我

執筆者の写真: 林好子林好子

今日のブログは


「意図」と「我(が)」について。




ちょっとマニアックな内容なので、


ピンとくる人、来ない人いるかもですが、


これまでより深いレベルで緊張を手放したり


パフォーマンスを向上させるために


役立つかもしれませんので


よかったらお読みください。





私がやっているオンラインのエクササイズクラス


(コース受講者とその卒業生らが参加)は、


シンプルな動きを20分行い、


その後10分ほど皆で経験や気づきをa


シェアしています。




先日のエクササイズ後のシェア時間、


なかなか面白いところに


話が発展していきました。



 


エクササイズ中に気づいた


「手の緊張」「左右の手の違い」


という話が、


「意図」と「我」という


話題に行きついたのです。


※シェア時間では、「我」という言葉が使われてましたが、「欲」という言葉に変えた方がしっくりくるかもですね。




なぜそのようなところに


発展していったのか、


その途中経過はさておき、


最終的にこんな話でした。



 


施術・合氣道・楽器演奏、何であれ、


動きの背後にあるものをみていくと、


我(が)が存在しているのに


気づくことがある。




そしてその我が


余分な緊張を生み出したり、


本来望んでいない表現・動きを


生み出している。




最初は単なる意図だったが、


その意図が知らず知らずのうちに


我に変わっていく。




でも意図と我は違う。


意図は持たないといけないが、


我になってはいけない。


捨てていくのは我であって


意図まで手放してはいけない。


意図なくやっても、


無意味な動きの練習になってしまう。




意図と我、


その微妙な差異を捉え、


不要なものを手放し、


必要なものを残していけるようになるために


お稽古(練習)があるのではないか。




動きの中の余分な緊張や不本意な表現が


我によって引き起こされているとしたら


(そして、それに気づいていたら)、


やるべきことは、


筋肉の緊張を手放そうとすることではなく、


我を手放す努力かもしれない。




ただ、多くの人(初心者)は


動きの背後にある我を気づいていないので


その人に我を捨てましょうと言っても


無意味かもしれない。


それよりは意図を明確にして


練習するの方がいいのだろう。




そんな話になりました。




10分ちょいで、


よくこういう話に行き着いたな、


という感じです(笑)




思いついたことをみんなで話すだけなので、


この内容が正解かどうかはわかりません。


またいつかこの話題を


みんなで深堀してみたいと思います。










意図と我


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Alexander Life Japanは、暮らしを豊かにすることを目的に、アレクサンダーテクニークのレッスン・ワークショップなどを行っています。オンラインでも指導。心身の緊張、慢性的な不調や疲労、パフォーマンス低下で悩む方におすすめです
Alexander Life Japanは、暮らしを豊かにすることを目的に、アレクサンダーテクニークのレッスン・ワークショップなどを行っています。オンラインでも指導。心身の緊張、慢性的な不調や疲労、パフォーマンス低下でお悩みの方におすすめです
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