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村上春樹さんスピーチ

  • 執筆者の写真: 林好子
    林好子
  • 2022年9月1日
  • 読了時間: 6分

2009年、イスラエルから受賞した「エルサレム賞」の受賞式典(イスラエルにて)で村上春樹さんが行ったスピーチ全文をご紹介します。英語でスピーチされたものの翻訳です。

当時、イスラエルはガザを攻撃し、世界から非難されていました。そんな中での受賞であり、スピーチでした。とても心に響いたので、ここで共有させていただきます。



私は今日、エルサレムに「小説家」として来ました。つまり、「職業として嘘を紡ぐ者」としてです。
もちろん、嘘をつくのは小説家だけではありません。政治家もそうしますし、外交官や軍人、中古車の販売員、肉屋、大工だってそうです。
しかし、小説家の嘘は他の嘘とは少し違います。小説家が嘘をついても、誰もそれを「不道徳だ」とは言いません。むしろ、より大きく、より巧妙に嘘をつくほど、読者や批評家から賞賛されるのです。
なぜでしょうか?


私の答えはこうです。
「巧みに嘘をつく」――つまり「真実のように見える虚構を作る」ことで、小説家は真実を新しい場所に運び、そこに新しい光を当てることができるのです。
ほとんどの場合、真実をそのままの形で捉え、正確に描写することは不可能です。だからこそ私たちは、真実のしっぽをつかもうとし、物語という場所に誘い出し、そこに仮の形を与えるのです。
ただし、それを成し遂げるには、まず自分の中のどこに「真実」があるのかを見定める必要があります。
それが、良い「嘘」を語るための重要な条件なのです。


とはいえ、今日の私は嘘をつくつもりはありません。
できる限り正直に話したいと思います。
年に数日だけ、私は嘘を語らない日がありますが、今日はそのうちの一日です。


さて、真実をお話ししましょう。
日本では、多くの人が私に「エルサレム賞を受け取りに行くべきではない」と忠告しました。
中には「もし行ったら、あなたの本をボイコットする」と警告した人までいました。
その理由はもちろん、当時ガザで激しい戦闘が続いていたからです。
国連の報告によれば、封鎖されたガザで千人以上の人々が命を落とし、その多くは武器を持たない市民、子どもや老人でした。


賞の通知を受け取ってから、私は何度も自問しました。
このような時にイスラエルを訪れ、文学賞を受け取ることは正しいことだろうか?
それは、紛争の一方の側を支持するような印象を与えはしないか?
圧倒的な軍事力を行使する国家の政策を、肯定してしまうように見えないか?


私は、戦争を支持しません。どの国の政策も支持しません。
そして、もちろん自分の作品がボイコットされることも望みません。


しかし最終的に、熟考の末、私はここに来ることを決めました。
なぜなら、あまりにも多くの人が「行くな」と言ったからです。
多くの小説家と同じように、私は他人に「やめろ」と言われると、逆に「やってみたくなる」性分なのかもしれません。
「そこに行くな」「それをするな」と言われると、私は「行ってみよう」「やってみよう」と思ってしまう――そういう意味で、これは小説家としての性(さが)なのです。
小説家というのは、自分の目で見たもの、手で触れたものしか本当には信じられない生き物なのです。


だから私はここにいます。
来ないことよりも、来ることを選びました。
見ないことよりも、自分の目で見ることを選びました。
沈黙よりも、あなた方に語りかけることを選びました。

ここで、一つだけ個人的なメッセージをお伝えさせてください。
私は小説を書くとき、いつもこの言葉を心の奥に刻んでいます。
紙に書いて壁に貼っているわけではありませんが、私の心の壁にはしっかりと刻まれている言葉です。


「高く、固い壁と、それにぶつかって割れる卵があれば、私はいつでも卵の側に立つ。」


そうです。
たとえ壁がどれほど正しく、卵がどれほど間違っていようと、私は卵の側に立ちます。
何が正しく、何が間違っているかは、他の誰かが――あるいは時間や歴史が――判断することでしょう。
しかし、もし小説家が「壁の側」に立って作品を書くとしたら、その作品にいったいどんな価値があるでしょうか?


この比喩の意味は、場合によっては非常に単純で明白です。
爆撃機や戦車、ロケット弾、白リン弾――それらは「高く固い壁」です。
そして、打ち砕かれ、焼かれ、撃たれる非武装の市民たち――それが「卵」です。
これがこの比喩の一つの意味です。


しかし、これはそれだけではありません。もっと深い意味を持っています。
こう考えてみてください。
私たち一人ひとりも、少なからず「卵」です。
私たちは皆、それぞれが唯一無二で、取り替えのきかない魂を、もろい殻の中に抱えています。
それは私にも、あなたにも当てはまります。
そして、誰もが多かれ少なかれ、「高く固い壁」に直面しています。
その壁には名前があります――それは「システム(The System)」です。


システムは私たちを守るためにあるはずなのに、ときにそれ自体が生命を持ち始め、
私たちを殺し、他者を殺させる存在へと変わってしまう。
冷たく、効率的に、組織的に。


私が小説を書く理由はただ一つです。
それは、「個人の魂の尊厳を地表に浮かび上がらせ、そこに光を当てる」ためです。
物語の目的は警鐘を鳴らすことです。
システムが私たちの魂を絡め取り、貶めようとするのを防ぐために、光を当て続けることです。


小説家の仕事とは、命の物語、愛の物語、人を泣かせ、恐れさせ、笑わせる物語を書くことで、
人間一人ひとりのかけがえのない魂の輝きを明らかにし続けることだと、私は信じています。
だからこそ私たちは、毎日真剣に「虚構」を紡ぎ続けるのです。


昨年、私の父が九十歳で亡くなりました。
彼は退職した教師であり、同時に仏教の僧でもありました。
大学院生のとき、徴兵されて中国の戦地へ送られたそうです。
戦後に生まれた私は、朝食の前に毎日、仏壇の前で長い祈りを捧げる父の姿を見て育ちました。
あるとき私は尋ねました。「どうしてそんなに長く祈るの?」と。
すると父は言いました。「戦場で死んだ人たちのために祈っているんだ。味方も敵も、すべての死者のために」と。
その背中を見つめながら、私はいつも、彼の周りに「死の影」が漂っているように感じていました。


父は亡くなり、彼の記憶も一緒に消えてしまいました。
けれど、その「死の気配」は、今も私の中に残っています。
それは私が父から受け継いだ数少ないものの一つであり、最も大切なものの一つです。

今日、私があなたたちに伝えたいのは、たった一つのことです。
私たちはみな、人間です。
国籍や人種や宗教を超えた、個としての人間です。
「システム」という名の壁に向かう、もろい卵なのです。
見た目には、勝ち目などまったくありません。
壁はあまりに高く、強く、そして冷たい。


けれども、もし私たちに希望があるとすれば、それは――
自分自身と他者の魂の唯一無二性を信じること。
そして、魂と魂を結びつけ、そこから生まれる温もりを信じること。


どうか、このことを少し考えてみてください。
私たち一人ひとりは、生きた魂を持っています。
しかし、システムには魂がありません。
システムに私たちを利用させてはいけません。
システムが自らの意思を持つようにしてはいけません。
システムを作ったのは私たちであり、私たちを作ったのはシステムではないのです。


――これが、私が皆さんにお伝えしたいすべてです。


エルサレム賞を授与してくださったことに感謝します。
そして、私の本を世界中で読んでくださる読者の皆さんに感謝します。
今日ここで、皆さんに語る機会を得られたことを嬉しく思います。


村上春樹
2009年2月

 
 
 

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Alexander Life Japanは、暮らしを豊かにすることを目的に、アレクサンダーテクニークのレッスン・ワークショップなどを行っています。オンラインでも指導。心身の緊張、慢性的な不調や疲労、パフォーマンス低下で悩む方におすすめです
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