ただいまアメリカに滞在中。
英語と格闘し失語症になった気分を味わっていると、昔担当した重度の失語症で片麻痺の患者さんのセラピー(理学療法)をふと思い出した。
とても気遣いをされる患者さん。 わずかな言葉を聞き取ろうと、あるいは話そうと頑張っておられるのをみて、ある日、その患者さんとのセラピーの時間は言葉を一切使わないと決めた。 また、患者さんがわたしの表情を読み取ろうという努力もしなくてよいように、ほとんどの時間を患者さんの死角に位置するようにした。 その日から二人の間で新たな関係とコミュニケーションがうまれた。
触れる手と体でのコミュニケーションは日々私と患者さんの感覚を繊細にし、集中力を高めてくれた。 静けさ中にあふれる会話は日々詳細を語りれるようになり、聞き取れるようになっていった。 周囲には聞こえない会話をしていると、二人で秘密を共有しているような気分にもなった。 お互いが安心して機能回復に向けて懸命になれた。 それらが楽しくて心地よくて仕方がなかった。
言葉は偉大。でもサイレントには言葉にないパワーがある。
サイレントのパワーを教えてくれたあの患者さん、いまどうしてるかな。
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